剣道リレー放談【剣友64号掲載記事)


2020.6宏武館剣道スポーツ少年団(郡山市)

宏武館剣道スポーツ少年団 山岸 正和

 

宏武館剣道スポーツ少年団の前身は「郡山宏武館道場」です。昭和38年4月に故・相楽芳三先生(剣道 範士七段・居合道 範士八段)が福島県警を退官するにあたり、青少年の健全育成、生涯剣道を目的に創立されました。師範として剣道範士八段 矢内正一先生、名誉師範に剣道・居合道範士九段の堀口 清先生、剣道範士八段 井上義喬先生、顧問に剣道範士八段 逸見和夫先生、剣道範士八段 横山永十先生、剣道教士七段 下妻勝三先生と錚々たる先生方をお迎えし、郡山市では初めての道場誕生となりました。道場には小学生から大人まで、初心者から高段者まで、門弟以外も他地区・県外からも数多くの剣の道を志す者が集まり先生方の指導を受けました。相楽先生は「終生修業」を座右の銘とし、平成16年5月28日に96歳でお亡くなりになる直前まで剣道着を着て門弟の指導をされました。残念ながら先生の亡き後、道場の老朽化等もあり道場は取り壊しとなりました。「先生のご恩を忘れてはならない、先生が築き上げてきた『「宏武館』の名を後世に残そう」と「宏武館剣道スポーツ少年団」として、先生の遺志を継いで現在活動を続けています。

【活動場所・稽古日時】・郡山市立第3中学校体育館    毎週(火)・(木)  午後7時~9時

           ・郡山市立薫小学校体育館 毎週(土) 午後5時~7時

【宏武館道場十訓】

一・礼節 礼儀はいつも正しく守ります    一・正直 正直で真面目に剣道を学びます

一・努力 一生懸命稽古にはげみます     一・忍耐 どんなに辛くとも我慢します

一・感謝 父母の恩を忘れず孝行いたします  一・友愛 友達とはいつも仲良くいたします

一・正義 正しく強くたくましく頑張ります  一・反省 常に自らを反省し勉強します

一・自信 何事も自信をもって実行します   一・剣道用具はいつでも整理しておきます

相楽先生は「よく来たな。またいらっしゃい」と誰にでも声をかけて稽古をされていました。先生のお姿を忘れず今後も「交剣知愛」「終生修業」を胸に精進してまいりたいと思います。


2020.6高久剣友会(いわき市)

 高久剣友会  鈴木 博士

 当剣友会は、昭和27年頃、GHQによる剣道禁止令が廃止されると同時に、藁谷久太郎先生(元県剣道連盟副会長)が中心となり、地元有志の努力により、教育の一環としての剣道を理解させる為に剣道の稽古を再開したと伝えられています。これまで約半世紀の伝統と歴史を引き継ぎ活動しております。

現在は、國井善男先生を会長に、小学生から一般まで、月、水、金の週3回稽古に励んでおります。少子化の影響や、小さな地域でもありますが、現在は、小学生女子が多く入会し、「楽しく、仲良く、長く」をモットーに稽古しており、中学・高校でも活躍をして欲しいと思います。剣道に廻り合い、剣道に感謝し、いつか剣道に恩返しができるよう、自分にとって剣道は恩人のような存在であると実感できるように指導して参りたいと思います。執筆中の現時点ではコロナウイルスの影響で稽古は中止しています。今まで当たり前に剣道ができる環境にあった事、頑張ってきた事などが遮断されていますが、必ずまた、「みんなで剣道をしよう‼」と改めて親や家族、仲間、剣友への感謝を振り返り、さらに大きく成長して欲しいと強く願っております。

我々指導者も、子供達には教えられる事や気づかされる事がたくさんあり、保護者と共に支え合い、一層努力し、地域や社会貢献にも役立つ「剣道」を目指し、稽古に励み精進して参ります。『剣徳正世』


2020.6律心館(会津坂下町)

律心館 内海 淳一

会津坂下町の定林寺には、ある親子が眠っている。幕末から明治にかけての会津を代表する剣客、渋谷東馬・一郎父子である。実は律心館の歴史はこの父子に由来する。東馬は天保3年(1832年)、現在の会津坂下町の生まれで、家業は医者であったが、幼い頃より剣の才があり、自ら剣道の道場を建て、養気館と称した。流派は小野派一刀流で、門弟は数十人に及んだ。

 その中には、大東流で有名な武田惣角がいる。戊辰戦争では中野竹子らの娘子軍と共に門弟40人ほどを引き連れ、戦に加わっている。晩年は医業と剣道に精を出し、静かに暮らした。

 一郎は明治8年の生まれで、明治13年に渋谷家の養子となった。家業を継ぐために東京の学校に学ぶが、一郎は生まれながらの剣客であったためか学業を差し置いて、剣道家である根岸信五郎の門にはいり神道無念流を極めた。その剣は神業とも魔剣とも評されるほどの腕前であったという。郷里に戻った一郎は、家業は継がず、父の剣道場を経営する傍ら、漢学の私塾を開き、人材の育成に力をいれた。

明治44年ごろ、根岸が坂下を訪れたのを記念して、道場の名を養気館から立心館へと改めた。一郎は、この立心館で文武を教え、大正7年、300人余りの門弟に惜しまれながら、病のため亡くなった。その後、門弟たちは文武二道の秀でた人材として、その後の日本に大きく貢献したのである。この渋谷父子の道場、立心館の名前を頂戴し、「立」の字を「律」に改め、現在の「律心館」が誕生した。「律」の字は「人として正しい道を歩もうとする姿」の意味がある。

 律心館では稽古の始めに「律心館誓いの言葉」というものを斉唱する。会津藩校日新館の什の掟を模したもので、「ならぬことはならぬものです」で締めくくられるものだ。文武二道の人材育成を行ったこの地の風土を受け継いで、子供たちには剣道を通して、人として多くのものを学んでいってほしいとの願いが込められている。今後も渋谷父子や律心館の名に恥じぬよう、子ども達と共に稽古に励んでいきたいと思う。